期間限定!!木皿泉著・小説「ハル」冒頭おためし公開中★
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気がついた時、ぼくの頭の中はからっぽだった。でも、自分がロボットだ、ということだけは、わかった。
手にルービックキューブをにぎっている。これが何なのかはわかるのに、なぜここにあるのか、わからない。
薄暗い部屋には誰もいず、ぼくの体からのびたコードがパソコンに接続されていて、モニターが青白く光り、数字がすごいいきおいで増えたり減ったりしている。
規則正しい、ぽとんぽとんという音だけが、いやにはっきりと聞こえる。液体電池をぼくの体に送り込むための点滴の音らしい。
それがわかったのは、ずいぶんたってからだった。

人の良さそうなヒゲづらのジイさんが入ってきた。この人物が、ぼくを作ったという荒波博士だった。入ってきた瞬間に荒波博士だとわかったのは、たぶん、そういうふうに入力されているからだろう。
博士は、ぼくに、
「人間になりたいか?」
と聞いた。
「人間になって何をするんですか?」
そう、ぼくがいうと、
「そうだよなぁ、ロボットにただ人間になれなんて言っても困るよなぁ」
と頭をかいた。
ぼくがじっと見ているのに気づくと、
「何をやるかは、いずれ話す」
といった。あのあわて方だと、きっと博士は何も考えてなかったんだろう。
荒波博士によると、ぼくは最も人間に近いQタイプのロボットなのだという。ぼくの型番はQ01で、ここに来る前は藍染の工房で働いていたそうである。
藍染というのは、昔からある布を染める方法なのだが、人間の勘がたよりの染め方なので修行もいるし、今は誰もやりたがらない。
二〇三〇年に入って、そういう絶滅しそうな日本の伝統文化をロボットに覚えさせようという試みがはじまった。ぼくは、その第1号なのだと、荒波博士はいった。
ぼくは、その工房でキューイチと呼ばれていたらしい。
が、そこでの記憶は全くない。混乱を起こさないよう、ぬき取ってしまったのだと荒波博士はいう。
博士に「その頃の映像、見たいか?」と聞かれたが、ぼくは何も答えなかった。
見たいのか、見たくないのか、よくわからなかったからだ。でも、博士はキューイチのデーターをさがしだしてきてくれた。
「これは、キューイチの目のレンズが記録していた映像だ」
博士が小さなボタンのようなものを、手元のプロジェクターにセットすると、突然、
大きな音が流れてきた。
「これは、川の音だ」
博士が説明すると、目の前に映像があらわれた。
キューイチのレンズの目がゆっくり開いたのだろう、青い何かがゆれていた。ピントを合わせる機械音がして画面が鮮明になってゆき、ようやくそれが細長い布だとわかる。
キューイチは川を見ていた。
その川面に、藍色の布がうつっていて、その布の向こうは夕焼けの空だった。その中を魚がゆっくりと泳いでゆく。
一瞬、映像が消えたのは、キューイチが目を閉じたからだろう。
その次、レンズは川の中に入って、魚を真正面にとらえていた。キューイチの手が魚の方にのびてゆき、つかまえようとするが、魚の動きはすばやく、するりと体をかわして逃げてゆく。
キューイチが水の中から立ち上がると、そこは山の中だった。
人間の手が入っていない岩の間を川が流れてゆく。その川の上に、きれいに染め上がった布が波のようにはためいている。
「鯉のぼりみたいだろ?」
と荒波博士がいうが、「鯉のぼり」がいったい何なのか、ぼくにはわからない。
「こうやって、染め上がった布を川の上に張って乾かしているんだよ」
キューイチは、まだ魚をさがしていた。
後ろで魚が飛びはねたのに気づいて、ゆっくりと近づいて水の中をじっとのぞいている。
突然、ゴーンという大きな音が響く。
「寺の鐘の音だ。時間を知らせる合図だ」
荒波博士が説明した。
川の上の見るからに古い建物の窓から、
「キューイチ、キューイチ」
と声がして、おじいさんが顔をのぞかせた。
「このじいさんは、茎野時夫といって、人間国宝だ」
「人間国宝って何ですか?」
「日本の宝ってことだよ」
ぼくには、このおじいさんのどこが宝なのかわからなかったが、藍染にかんしては、すごい技術を持っているんだと博士はいった。
おじいさんは、もう一度「キューイチ!」と呼んだ。
その隣にネパール人の弟子が顔をのぞかせて、下にいるキューイチにむかって「あ
がりますよぉ」と叫んだ。
キューイチは、うなずくと川から上がり、橋を渡って建物の方へ向かった。
橋を走りながらふりかえるキューイチのレンズが、飛行機をとらえる。
建物のまわりでは、おじいさんと弟子たちが、かたづけをはじめていた。
ふたたび、キューイチのレンズは空に向く。飛行機は、さっきより速度が落ちているように感じられた。
キューイチは異変を感じているのか、空から目をはなそうとしなかった。
隣にいる時夫じいさんのスマホから、不吉な緊急音が鳴りだした。それにシンクロするように、夕焼けの空を飛んでいた飛行機が、左右に大きく揺れはじめた。と思った瞬間、それは火を吹き、砕け散り、一瞬で大きな煙のかたまりとなった。
キューイチが、時夫じいさんの方に目をうつすと、スローモーションのように、その体がゆっくりと崩れ落ちていく。思わず、その体をささえると、時夫じいさんの体からスマホが落ちた。ひろい上げると、時夫じいさんと一緒に若い男の子と女の子の三人の写真がうつっている。
ぼくが荒波博士の方を見ると、
「ハルとくるみだ」といった。
スマホの中の三人は、店の中で何かを選んでいるらしく楽しそうに笑っている。
「時夫の孫娘くるみと、その恋人のハルだ。あの飛行機に乗っていた」
キューイチが、もう一度、空に目をうつすと、みごとな夕焼けの中、飛行機の残骸が火花となって次々と落ちてゆく。
「あの中に?」
ぼくがつぶやくと、
「そう、ハルがいた」
「くるみさんは?」
「そのショックで、ずっと家に引きこもっている。くるみは、いつも、どこに行くのも、ハルと一緒だったからな」
キューイチの記憶の映像は、そこでプツンと消えた。
「くるみは、何も食べなくなった。しゃべらなくなった。眠らなくなった。聞かなくなった。怒らなくなった。泣かなくなった」
荒波博士は、もう消えてしまった映像を、まだじっと見ていた。
「お前、言ったよな。人間になって何をするんですかって?」
「はい」
「人間になって、人間を助けろ」
「それが、ぼくのやることですか?」
「人間を助けることができるのは、人間だけだ」
「でも、ぼくはロボットです」
「わかってる。だから人間になれ、と言ってるんだ」
「どうすれば人間になれるんですか?」
「それは自分で考えるんだよ」
荒波博士はそういって笑った。さすがに、自分のいってることは無茶だと思ったのだろう。
「本物の人間だってな、最初から人間じゃないんだ。色々な目にあって、死ぬほど考
えているうちに人間になるんだよ」
博士の言葉は、ぼくには理解不能だ。人間は最初から人間のはずなのだ。
「お前は、人間に限りなく近いロボットだ。学習もできる」
荒波博士はそういって、ぼくに鏡を渡した。そこには、スマホにうつっていたハルの顔があった。
「人間になって、人間を助けろ。ハルになって、くるみを助けるんだ」
ぼくは「はい」というしかなかった。できるとか、できないとか、それは人間のいうことだ。ロボットのぼくは、命じられれば、それがどんな無理なことだって「はい」というしかない。
それから三日ほどかけて、荒波博士は、ぼくに人間としての行動を、とても熱く教えてくれたが、本当のことをいうと、ぼくには理解不能なとこが多かった。それでも、ぼくが人間になる日がきて、荒波博士は上機嫌で部屋に入ってきた。
「キューイチ、すまん」
「センセ、ぼくは今日からハルです」
「おぉ、そーだったな」
博士が、ぼくについていたチューブやコードをひとつずつはずしながら、
「どうだ、人間になった気分は?」
と聞いた。
「気分って何ですか?」
「気分って言うのはだなぁ」
といったきり、荒波博士の動きはぴたりと止まってしまった。口で説明するのは、とても無理だと思ったらしく、
「今のなしッ!」
というと、ぼくを立たせて、
「ほら、急ぐぞ」
といった。
「ほら、足を出せ。右左右左」
と、お手本を見せるように軽やかにステップを踏んでみせる。
ぼくの記憶では、生まれて初めてこの部屋から外へ出る。世界は自分のいる部屋のようなものが、いくつも寄り集まっていて、それをどこまでも細い廊下がつないでいると思っていた。が、どうも違うようだった。廊下のすぐ先に外につながる扉があって、そこを開けると緑一色だった。ぼくがいた建物は、山の中にあった。山も家も見てみると知っていると思うのに、部屋にいる時はこんなものがあるとは思いもしなかった。
車や人がぼくを追い越してゆく。店があって、その前を猫が走る。どれも見覚えがあった。そういう記憶はちゃんと残してあるから大丈夫なんだと、荒波博士はいう。
エイデンと呼ばれる電車に乗り込む。青々とした夏のモミジが、窓ガラスをからからとたたいてゆく。二両編成の小さな電車が、森の中を突きぬけるように走ってゆく。そこをぬけると、こんどは大きな空がどこまでも続く。
荒波博士が時計を見る。朝十時の空は晴天だった。ぼくが、でかけるときにポケットにつっこんできたルービックキューブをいじっていると、前の席に座っていた荒波博士が、「なつかしいなぁ、それ」とぼくの手から取り上げた。
「お前が子供の時も、これあった?」
ぼくが、博士のいっている意味がわからずにいると、
「あ、そうか」
と笑った。
「昔のハルのことなんか、わかんねーよな」と自分にいうようにいった。
「ムカシのハル」
ぼくがつぶやくと、
「お前は、今のハル」
「ボクはイマのハル」
「おっ、そうだ」
博士は、カバンの中をごそごそさがすと、透明の小さな板を取り出し、ぼくに渡した。
「ほれ、これ、お前のIDだ。なくすんじゃないぞ」
「ID?」
「みんな、スマホってよんでる」
このガラスのふちんところにマイクとかスピーカーがついてるんだよ、と説明する。
「これがあると、オレとの連絡もできるし、地図にもなるから迷子にならない。わからないことは調べられるし、買い物もできる」
「買い物?」
博士は、白衣の胸ポケットから懐中時計をとりだして、スマホの前にかざした。
「欲しいものを見つけたら、こうやると、ほら、値段が出るだろ?」
ぼくがスマホとよばれるガラスの板をのぞきこむと、値段だけではなく、その時計のありとあらゆる情報が表示されている。
荒波博士は、「今すぐ購入」と書かれたボタンを指して、ここを押すとクレジットからお金が引き落とされて、家に配達される、と教えてくれた。
ぼくのスマホを別の乗客にむけた。おばさんのかぶっている帽子にも、食べている弁当にも、かたわらに置いてあるケージ、その中に入っている犬にも、すべて値段がついている。
「まぁ、言ってしまえば、地球上のものは全て売り物よ」
と荒波博士はそういって、鼻をフンッとならす。
車両の広告にあるグラビア写真集にピントをあわせると、値段が上がったり下がったりしている。
「数字が減ったり増えたりしています」
ぼくがいうと、
「値段っていうのは、めまぐるしく変わるんだよ」
荒波博士は、ルービックキューブに熱中しながらこたえる。
「下がるのは流行遅れっつーこと。誰も欲しがらないってことだ」
ぼくは、ためしに博士のうすくなった頭の上にスマホをかざしてみる。ゼロ円だった。
「センセはゼロ円です」
「そうそう、オレみたいなもん、誰も欲しがらないからな。ってどういう意味だよ」
と怖い顔でふりかえった。人はゼロ円といわれたらイヤな気持ちになるらしい。
青空はいくらなんだろうとスマホをかざしたが、無反応だった。
「空もゼロのままです」
「空、川、海、それに人間。この世には値段のつかないものもある。本当かどうかは別にして、まぁとりあえず、そういうことになっている」
空から山へスマホをスライドさせると、とたんに数字が表示される。ぼくが驚いた顔をしたのだろう。
「はは、ゼロがけたはずれに多いだろう? 残念ながら地べたには値段がついている」
地べたも、減ったり増えたり、めまぐるしく数字が動いている。
ぼくは、スマホをはずして自分の目で風景を見る。あれだけあわただしく数字が点
滅していたのがウソのように、平穏で何もない風景がどこまでも続く。
「不思議だろ? 不思議だよな」
そういって、荒波博士は、ルービックキューブの世界に突入してしまった。

「出町柳」という駅でおりて、鴨川を渡るのだという。ぼくの前を太った体をゆらしながら荒波博士が、飛び石をぴょんぴょん飛びはねてゆく。川は浅く、涼しさを求めて人がのんびりくつろいでいる。渡りきると、さすがに博士の息は上がり、汗がじっとりと浮きでて前髪をぬらしている。
「ふー、あつい」
まだ渡りきってないぼくに向かって、
「わりぃ、オレ、この先の婆さんちに顔出さなきゃなんないんだ。お前、一人で行けるよな?」
場所はさっきのスマホで調べればわかる。調べ方も教わった。行こうとすると、荒波博士が声をかけた。
「そうだ、これ」
博士はぼくにルービックキューブを渡した。もう少しで一面そろいそうだ。そこに何か文字が書かれていた。
「それ、ハルが書いたんだ」
ぼくは少しおどろいて、ルービックキューブを見た。これはハルの持ち物だったのだ。ぼくは、ルービックキューブをまわして、何とか字が読めるようにする。そこには、
「くるみと暮らす」
と書かれていた。
荒波博士はそれをのぞきこむと、ぼくの肩をたたいた。
「ハルが最後にのこした願いごとだ」
そういうと、じゃあなと川の向こうにある住宅地へと消えていった。
ぼくは川に一人残された。川で遊ぶ人たちは陽気に笑っている。ギターを弾いたり、本を読んだり、何かを食べたり、しゃべったり。みんながみんな、思い思いのことをしていた。ぼくは川に自分の姿をうつした。まぎれもなくハルだった。うまくやってゆけるのだろうか。博士がいなくなって、急に本当にできるのか、という気持ちになってくる。ここにいる人たちを見ていると、自分だけが、何もかも違うもののように思えてくる。少なくとも自分は、あんなに楽しそうに笑えないだろう。
子供たちが、飛びはねながら、ぼくを追い越してゆく。釣り竿に網。ジャンプした拍子に帽子が川へ飛ばされた。ふわりと舞って、ゆっくりと川に落ちてゆく。帽子は水を吸い込み、その重みでゆっくり沈んでゆく。川に流れてゆく帽子を、ぼくと子供たちは橋の上から見送った。あの帽子から見たぼくはどんなふうに見えるだろう。たぶん、とてもたよりなく立っているはずだ。ぼくは本当にここにいていいのだろうか。
「あの帽子、どうなるの?」
「海へ行くんや」
子供たちは、帽子をあきらめて、いきおいよくはねながら、向こう岸へと渡っていく。
そうか、この川は海につながっているのか。海にゆくまでに、いくつの街を通りぬけるのだろう。海にいきついても、その先に別の国があって、そこにもまた街があって人が暮らしている。荒波博士が見せてくれた地球儀を思い出す。今、立っている、この川はありとあらゆる場所につながっているのだった。ぼくは、あの薄暗い部屋を出て、今、ここにいる。
ぼくは、ここでハルになるのだと思った。ハルになって、くるみという女の子に生きていることを思い出させる、という使命を思い出した。
そうだ、ぼくはハルになる。
この川の流れるこの街で、ぼくは今日からハルになるんだ。

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